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頭の中の世界地図 〜中央ユーラシアって?〜

  • 執筆者の写真: 中央ユーラシア食の研究会
    中央ユーラシア食の研究会
  • 2019年12月24日
  • 読了時間: 3分

更新日:2021年1月6日

私達は、世界地図を大体覚えて知っています。その中でもユーラシア大陸は日本の隣なので、とりわけ詳しいのではないでしょうか。


日本を出て、ユーラシア大陸に入り西に進むと、まずは朝鮮半島。続いて中国を北に見ながら

ベトナムやタイなどの東南アジア、ミャンマーを越える頃に段々とインド文化圏に入ってきて、中東・アラブを経てトルコ。そして、ようやくヨーロッパに辿り着きました。

はい、終わり。ああ、上の方にはロシアやモンゴルがあったか。

多くの人は、概ねこんな感じなのではないでしょうか?


だって私達は、大体その様に習いますし、街中にも色々な国のレストランを見ますが、中華や韓国料理、タイやベトナム料理などの東南アジア、インド料理、フレンチやイタリアン、たまにスペイン料理やトルコ料理。珍しいアラブ料理も、探せばあるかもしれない。

私達の知っているユーラシア大陸の内訳と、ほぼ変わらないから何の違和感もありません。

でもそれって実は、南ルートの話なのです。


じゃあ、北ルートはどうだと思いますか?と訊くと、

えっ、全部中国とロシアでしょ?と返ってきます。

少し詳しい人は、モンゴルが内陸の方にある事は思い出しますが、よっぽど興味があったりしない限り、大抵その先は出てきません。それだけ、中央ユーラシアとは未知の世界なのです。


ではその、「全部中国とロシアでしょ?」の中を詳しく覗いてみると、ユーラシア大陸の内陸部にたくさんの国があることに気付きます。そしてその中には様々な民族が暮らし、そこにはまさに文化や民族のグラデーションとも言うべき光景が展開しています。


でもこれらのうちの多くの国は、例えば30年前にはありませんでした。ソ連という、とんでもなく広大な国家の一員だったので、地図上では国際法上の “国家” というルールでの線引きがされていなかったからです。

そのイメージがもしかしたら今も続いているのかもしれませんが、とにかく中央ユーラシアとは知られざる未知の地域である事に変わりはなさそうです。


Where is the central Eurasia we envision. This image is created from mapswire.com image.
中央ユーラシアの大まかな想定

私達 中央ユーラシア 食の研究会 では、この地域にスポットを当て、そこにはどんな民族が住んでいて、主にどんなものを食べて暮らしていてどんな日常が展開しているか、を主に見ていきます。


しかしもっと大切な事は、この地域を俯瞰して見た時に、上に挙げたような文化のグラデーションがはっきりと浮かび上がって視線を捉える事です。

あの広大なユーラシア大陸の真ん中辺りの内陸部では、長い時間をかけて民族同士が影響し合い、混ざり合いながら流れていき、少しずつ地域ごとの差が出来ていった、その痕跡を間近に見る事ができます。


それらを見つけた時の驚きと感動は、心が奪われ今自分がいる場所も忘れて、一気に時空を超えたロマンの世界に引きずられる様にして連れて行かれてしまうほどです。食文化という目線を通じて見えるものは、私達の想像以上のものです。


なぜならば食は、言語と並んでその民族の在り様を表わし、また民族が連綿と歴史をつなぐ為には食が不可欠であり、しかもそれは代々受け継がれるからです。ある意味、食は民族移動の足跡であり地図だと言う事も出来るでしょう。


日本人にとっては、似ている食文化や共通のものを見出せる事もありますが、驚いてしまうものもたくさんあります。

それらを見ながら食文化の旅をしつつ、なぜそうなっていったのか?の考察も含めて、少しでも知られざる地域の食について皆さまにご紹介していく事で私たち自身も、どこまでも広がる途方もなく雄大な大陸の中に、心を解き放ちたい!と願うのです。



(庄司由美子)

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